「そういう意味では、確かに宇宙に希望はあったのだ」(日記1月)
「1年が過ぎるのは早いなー」
なんて思うようになったのは、いつからだっただろうか。
少なくとも僕は、ここ5年くらいはそんな事考えもしなかったです。
しかし今年は違うぞ。ぱっと気づいたら1月、「1年が過ぎるのは早いなー」が自然に出てきてもおかしくないです。なぜでしょうか、”老い”でしょうか。
いや違うんです。多分楽しいから。というより苦しくないからという方が正確か。
自分が完璧に適応できる環境に身を置いているから、1年がとても短く感じる。もちろん良い事だけでなく、酸いも甘いも全自動で過ぎていく日々には、不安が付きまとうものですが。
『田舎のネズミと都会のネズミ』
僕は田舎と言えるほど田舎ではないですが、地方都市から上京したという経歴があります。地元の友達と通話していると必ずと言ってよいほど、「ずっと地元で働くのか。地元から離れて、一度違う環境に身を置いてみるべきなのか」という悩みの話題が絶対出ます。
ここでAIさんの回答を見てみましょう。
その通りですね。AIの言う事が全てです。
結局コンプレックスがあるのかどうなのか、抱えられるかって話ですよね。
(ああ…若いうちから都会に住んでいればな)と卑屈になった未来の自分が想像できてしまうのであれば、一度地元を離れるのも良いのではないでしょうか。
僕の場合、「このままじゃダメだ」という感覚が常に自分の中で渦巻いているタイプで、なんだかんだこれはこれで幸せ。という感覚を手に入れた事がこれまで一度も無い。
なので、地元を離れた今の状況に納得しているかと言えばそうでもなく、死ぬまで自分の納得を探し出す呪いを背負って生きていきます。
つまりスティール・ボール・ランなんですね。『「納得」は全てに優先するぜッ!! でないとオレは「前」へ進めねえッ!』って事です。
※ちなみに僕の地元は自家用車必須で維持費かかるし、なぜか全国的に見ても賃金が低いというイジメをうけているので、それが普通に嫌だったのもあるが。
『ガンダムシリーズ』
「ファーストガンダム」と「Zガンダム」を全部観ました。本当に大好きです。
ガンダムってあまりどういう物語か上手く理解していなかったんですが、戦争、差別、愛など激重のテーマを扱った作品なんですね。
最新作の水星の魔女でも、こういうテーマが前面に出てくると、ネットでは「ガンダムらしくなってきた」というような意見が多数を占めており、一貫して描かれているという事がわかりますね。
「こいつ…動くぞ」「悲しいけどこれ戦争なのよね」
「シャアだ…赤い彗星だ」「きれいな目をしているのね」
「当たらなければどうということは無い」
「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」
「坊やだからさ」
ガンダムの好きな言葉を羅列させるだけ心地良い。
ファーストから、Zガンダムまではキャラクターの情緒不安定がすぎる。曲がりなりにも軍人としてアンガーマネジメントぐらい出来ているのかと思いきや、病んだりキレたり衝動的に行動しすぎて、作戦が無茶苦茶になってしまう描写が多すぎる。
でもそれが良い。
ガンダムついてはもっと詳しくなってもう一度詳しく書きたいですね。
『子どもが好きと言えない』
僕は子ども好きではありません。
こういう事を発言すると、嫌な奴だと思われるのであまり言わない方が良いです。(実際僕は嫌な奴ですが)ただ好きかどうかは子どもへの優しさとはなんの関係も無いという事も同時に思っており、自分は子どもは好きではないが、その辺の大人よりよっぽど子どもの気持ちをわかっている。という自負もあります。
僕は子どもの頃からずっと思っていた事があり、それは「大人は俺らの事を舐めている」です。ネットがここまで普及した時代ですから、子どもと大人の境界線はより曖昧になっています。
一昨年に僕の兄がシングルマザーの方と結婚し、突然小学生の姪ができたのですが、同じアニメを見ているという事もあり実家で一緒に話した時、一回りも離れているのに会話が滞りなくできると思ったことがあります。またVtuberの配信を楽しんでいると、その子の実年齢が中学生だった事もあります。
なにが言いたいかというと、子どもが好きと公言する人の中には一種のステレオタイプ的な庇護欲を持ち合わせている場合が多いのではないかという事です。
もちろん全員がそうとは言いませんが、子ども、大人と安易にカテゴライズ化して”子どもらしさ”を押し付けられるような考えが大嫌いだったんですね。確かに大人は子どもを守るべきですが、それは個人の機微ではなく、社会システムとして当たり前の事で、強い言葉を使うと当たり前でなければならない事です。
これは僕が恩師と呼べるような関係性の深い大人にあまり出逢わなかった事も原因だと思いますが。自分の場合、過去の自分や同じ境遇のひねくれた子ども達が少しでも報われる為に、口が裂けても子ども可愛くて大好きなんて安易に言いたくない。祈りのようなものです。
可愛さは見出すものであり、押し付けるものではない。そういう意味でいうと、別に子どもが好きじゃないのではなく、好きな子どもいれば、嫌いな奴もいるという事です。ほんとは普通に可愛い子どもは好きです。
しかし、クソガキだからと言って、大人という優位性を行使してタメ口で威圧するような奴にはなりたくないですね。
『ポケットモンスターSV』
去年時間を費やしたゲームランキングが作れば、11月発売であるにも関わらず、間違いなくトップ3に入るゲームがポケモンの最新作です。1位はエルデンリング2位はモンスターハンターサンブレイクですかね。
前作のソード・シールドも良かったんですが、それにも増して今作はシナリオが良かった。新作発売日にはネットの話題は毎回ポケモン一色になりますが、今作は対戦、競技としてのポケモンや、育成シミュレーションだけではなく、シナリオやキャラクターにもよりスポットが当たっていましたね。
僕は保健室のギャルこと、ミモザ先生が好きです。
彼女は養護教諭になる夢があったが、試験に落ち続けたので保健師になったという過去がある。良いよね。
サボりにやってくる生徒達、男子はミモザ先生の包容力を目的として、女子はギャルとして可愛く生きるミモザ先生に憧れて。
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でも、僕だけは知っています。
ミモザ先生が割りとズボラなこと。休みの日はパジャマのままコンビニに行っちゃうこと。高校生の時から同じチーク使っていること。酔ったら自分が可愛く写ったプリクラを見せてくること。Poketuberの動画で休日を潰し、後ろめたさを感じてしまっていること。
本当は養護教諭にだって…まだなりたいってこと!
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キモくなっちゃってすみません。
この後ミモザ先生は主人公の冒険に触発され見事に養護教諭試験に合格します。
人は何歳からだって挑戦していいんだという事をミモザ先生から学ぶ小学生もいることでしょう。