服好きな大学生の僕の手記。

「俺にはそれが、泣きたいほどに羨ましい...!」(日記8月)

七年前の八月、砂の上に、海の上に、光が粉々に砕けた景色を覚えている。

希望ばかりが膨らむ毎日と、お腹が空いたのか、きっかり八時に起こしに来る、僕の一番の親友である(1)”華”のアラーム。

 

(1)実家で飼っているトイプードル

 

 

 

「ペットショップ行きたい」

 

 

 

僕たちは付き合ってもう七年だ。このまま二人、穏やかで茫洋とした日々を送ることも悪くないように思えたが、彼女の方はそんな事は考えていないようだ。

 

ひと月も前の事である。

彼女のTwitterのアカウントが消えた。

今は”X”と呼んだ方が正しいだろうか、富の追求と合理性に塗れた資本家のセンスはよくわからない。そんな事を理解しても、これで彼女のツイートが見られない事実は変わらない。

一見ささいな事に思えたこの事象は、彼女にとって、また彼女と一番身近で接している僕にとって重大な事であった。

 

僕と彼女は幼少期からの知り合いである。

父親の職場の真向かいに住んでいた彼女と僕は親同士の仲が良く、父の仕事が終わるまでよく一緒に海に出かけていた。

端的に言うと「幼馴染」であり、そして、それ以上の信頼をお互いに感じていたと思う。

 

誰よりも賢く、誰にでも優しく、学年トップの秀才ではあるが、自分から目立とうとはせずに、どこか人と関わろうとしない一匹狼で、品のある美人。だけど話してみると可愛らしさやいじらしさを併せ持つ、完璧な美少女だった。

そんな彼女は学校でも人気があり、僕が年上の女性に憧れを持つきっかけになった人である。

 

「本当の私を知ったら、○○くん、きっと幻滅するよ」 

 

僕が特に彼女に惹かれた理由の一つが、シニカルであっても嫌味感が無く、小気味よいユーモアだ。

彼女はとにかく話が上手かった。

僕にとってはなんてこと無い日常でも、彼女の話を通して聞くと、まるで灰色だった風景に色を付けていくように、不思議な魅力を与えてくれる。

彼女といると僕にもこの魔法が使えるような、そんな気がして、その全能感が何となく心地よかった。

 

僕が彼女と同じ大学に進学した頃、彼女はTwitterを始めた。

SNSに疎い僕でも、フォロワーが五万人もいるのはすごい事だとわかった。

 

「本とか書いて出してみたら買ってくれる人もいるんじゃない?」

「そんなの...恐れ多いよ~」

 

「毎月そんなに広告料貰えちゃうなら、仕事辞めてインフルエンサーになっちゃえよ」

「月に20万稼ぐのと、生涯賃金1億円稼ぐのと。これじゃ全然違うんだよ」

 

「タグつけた方がもっと見られると思うけど?」

「そういう自意識はダサいから嫌」

 

そういうものなのか。まんざらでもなさそうな彼女が、なぜそうしないのか、よくわからなかったが、そういう所も人気の秘訣なのだろう。

そんな彼女がTwitterを辞めたのだ。

中学生の頃、塾に通えなかった僕は、彼女の女友達に塾での彼女の様子をよく聞いていた。

僕はその時間を毎週のように楽しみしていた事を覚えている。

つまり僕は自分といる時とは違う、自分のいない時の彼女の様子を知るのが好きだったのだ。自分の”好き”を示す為に、”相手の全てを理解する事”以外のやり方がわからなかった。

これじゃまるでストーカーだな。

それでも、彼女の全てを知りたかった。嫉妬や羨望ではなく、心の底から彼女に笑っていてほしかったのだ。

だから、SNSで自分以外の人と接している彼女の姿を観測して、相手の全てを理解する事が、それだけが...僕の...???

 

 

??

 

ん...

 

 

 



うぅ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭が痛い...   これは

 

 

 

 

 

 

 

 

そっか

 

 

 

 

 

あーあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません。これは僕が(2)羽川翼さんと付き合っていた時の”存在しない記憶”でした。

 

 

という訳で今月の日記は下記となります。

 

(2)化物語のヒロイン、可愛い

 

『三日間の幸福』

実は僕は三秋縋先生の作品を読むのは初めてです。

暗い学生時代を送り無色透明なあの日の夏を追い求めるサマーコンプレックスに侵された人間として、三秋縋先生の作品を読んでいないのは良くない。

という訳で読んでみたのですが、結果的になぜ今まで読んでいなかったのかわからないくらいの心に合致した作品でした。本当に好きです。

ミヤギ「勝とうなんて思うから負ける。負けの中にも勝ちを見い出す生き方の方が失望は少ないよ」

これは、もうどうにもならない、取り返しのつかなくなった人生にすら、まだ逆転勝ちがあると信じている主人公にヒロインがいうセリフです。こんなに悲しいセリフってあるんだ。

アイシールド21

これは作画の村田先生が21周年に上げた動画の一部です

上記『三日間の幸福』の台詞を紹介するのなら、アイシールド21を紹介しないわけにはいかないでしょう。(そんな事は無く僕が最近全巻読んだだけです)

アイシールド21では”才能に恵まれなかった凡人”が”天与の資質を何もかも与えられた天才達”を目の当たりにしたとき、

自分では絶対に勝てない。という現実を知った上で、それでも勝つ事を諦めなかった人間と、諦めてほかの天才に任せるようになる人間と、そういう事が物語の一つのテーマとなっています。

セナ、ヒル魔、雲水、桜庭、高見、水町、葉柱、アメリカ戦では進、峨王、阿含など、

様々なキャラクターがこのテーマを側面に持ち話が展開していくさまがとても熱い。

努力ではどうにもならない事もある。

でも、努力が無駄になる事もない。という一見矛盾しているような二つのテーマをキャラクターごとにあらゆる解釈で正解を導き出していく。

だからこそ、

「勝とうなんて思うから負ける。負けの中にも勝ちを見い出す生き方の方が失望は少ないよ」

なんて簡単に語ってしまう『三日間の幸福』での宮城や、ぼくのような人間に刺さってしまう。

 

桜庭「俺はーー雲水みたく 現実を受け入れられるほど 賢くない それだけだよ」

 

雲水「俺には それが 泣きたいほどに羨ましい…!」

 

になる。結果に執着せず足掻き続ける人間に魅了されてしまう。
イージーモードのアイドルではなく、

進という努力しても絶対に追いつけない天才のいる、修羅の道であるアメフトを選ぶ桜庭に対して、いつからか俺たちは背を向けていたんだ。

そんな事もあった影響で、本当はやりたくもない事を続けていく事に価値を見出す事が出来ない。そんな呪い、病に侵されています。

 

「三日間の幸福」終盤で、ヒロインのミヤギが言っていた台詞は主人公に向けててではなく、失敗した人生を送ってしまった自分に言い聞かせるように言っていたという事が判明するのですが、彼女は最後の最後で勝とうという意志を持ち勝負に出る。

そしてそれは客観的に今までの彼女の人生全てを肯定できるような選択ではない、これから彼女の人生に起こるであろう小さい幸福をすべて捨ててまでも、大好きな主人公との”最後の三日間”を過ごすために寿命を全て売り払うのだ。

そして作中彼女はそれを明確に勝利としているのが本当の良い。

終わりよければ全て良し。

人生の最後の日に世界で一番好きな人に気持ちを伝えそばにいる事が出来たなら、それまでの不幸を全て帳消しにしても余りある幸福が待っているのかもしれませんね。