服好きな大学生の僕の手記。

「森の動物たちが騒がしいな...嫌な予感がする」(日記6月)

ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』

ゼルダの伝説の新作をプレイしました。本当にすごいゲームです。

これを読んでいるあなたが、オープンワールドのゲームは苦手だという自覚がもしあるなら、そんな重い荷物は置いてティアキンを始めた方が良いでしょう。

さて、勇者というものにあなたはどのようなイメージがわくでしょうか。

やはり男の子なら一度は勇者に憧れ、姫を救うRPGの愉悦に浸った事があるでしょう。仲間たちと姫を救うために奔走し、巨悪に立ち向かう。これが現代における勇者の最もスタンダードな見解でしょう。

しかし、年齢のせいなのか時代のせいなのか、”生産性”という資本主義の呪いに侵された人間たちは、いつの日か自分に流れる勇者の血を忘れてしまいます。そんな僕らがゼルダの伝説なんていう王道に惹かれるのは、むしろ必然であると言えるでしょう。

キャラクターもとても良く、特にリト族のチューリがとてもかわいい。

ポケモンもそうだったのですが、僕はこういうシステムとしてシンプルに面白いゲームのシナリオが、ゲーム的なメタ要素を守りながら上手く進行していくための工夫というものに、とてもリスペクトを感じてしまうタイプです。

モンスターハンターポケモン以来に100時間以上プレイしたゲームになりました。

『変身』

カフカの『変身』を読みました。

簡単にあらすじを紹介すると、ある朝、巨大な毒虫になっていることに気づいた主人公グレゴール・ザムザが仕事に行かず、家族とも言葉が通じなくなり、家族から徐々に嫌悪され疎ましく思われるようになっていくという内容です。人間からバケモノに変わるから『変身』なんですね。

カフカの本を初めて読んだのですが、あまりに唐突に毒虫になるので何か仕掛けがあると思い、

「例えば主観的な内容で描かれる自称は全て噓だったという事が後半に判明する叙述トリックがあり、実際は仕事が嫌になった主人公が自分の事を毒虫だと思いこんでいる精神的な病気にかかっていた」とか、

「穏やかで温厚で家族を支えていた主人公というのがミスリードであり、実はとても苛烈で暴力的な主人公が神からの天罰で毒虫になってしまった事が後々家族などの第三者視点から判明する。」

などそういう事を疑りながら読み進めていたのですが、特にそんな事もなくただただグレゴール・ザムザという男の悲劇を描いていたのが印象的な作品でした。救いがなさすぎる。

なので読了した直後は正直に言うとあまり充実感は無く「なんだこれ、特に意味も理由もなく悲しいだけの話だ」という感想だったのですが、カフカという小説家の事を調べていくうちに、彼らしい作品だという事や、彼の感覚という物が鮮明化されていき、今では結構好きになってきました。

彼の作品はシュルレアリスムの要素を含んでおり、自らではコントロールできない現実の非論理的な不条理への悲観には共鳴できるところがあります。彼はとても優しく、それ故に生きる力が無さすぎる。

彼の有名な話に、他人の持っているステッキに書かれた「私はあらゆる困難を打ち砕く」という言葉を確認した後、自分のステッキには「あらゆる困難が私を打ち砕く」と刻まれている。などという言葉を残したという話があります。

カフカにとって歪な社会で当然のように行使される不可解なルールは、非現実的で夢幻的な理不尽であったのでしょう。

ちなみに彼は自分の作品を世に公開する予定はなく、それこそ友人の裏切りというグロテスクな理不尽によって実存主義の先駆として良いか悪いか脚光を浴びる事となるのですが、その秘密主義的な望みも空しく最愛の恋人への手紙まで公開されているのですが、その内容が余りにメンヘラすぎる。

少し返信が来ないだけで何度も返信を催促し、文頭は「こんな駄文を送ってしまい申し訳ない」から始まる。現代ならツイッターで嫌な女に晒されています。

そう考えると、彼の苦悩がテクノロジーによって増幅される現代に生まれなかった事は、救いだったとも言えますね。

カフカは的思考は今の若者っぽい雰囲気だし。

ネタバレとはなってしまいますが、主人恋であるグレゴール・ザムザは結局後半、自分が一番信じていて、毒虫になる前には生活費を全て捧げていた家族に殺される訳ですが、それも今となったはカフカの作品として相応エンド気がしてきました。

 

 

 

 

 

youtu.be機動戦士ガンダム 水星の魔女』

シャディク・ゼネリ

水星の魔女の最終回を観ました。

水星の魔女の最終回は賛否両論あり、特に「俺たちの戦いはこれからだ」ENDだと思っているので、ガンダムシリーズとして評価した場合、不完全燃焼感があった事は多少は否めないと思います。

しかし僕は、シャディク・ゼネリという男の結末に創造の余白が与えられて終わったという事は雑に良かったと思っている。水星の魔女はあくまで子ども達の物語であり、スレッタが母親から決別するという事が重要な一つのファクターだと言えます。

そういう親と子をテーマにした作品であるからこそ、誰よりもいち早く自分の物語を始めたシャディク・ゼネリが好き。

令和の花より団子と呼ばれていた水星の魔女で、ラスボスキャラだと思っていたハーレム御曹司のシャディクが、誰より一途で片思いな熱血男だというギャップ萌えがシンプルに好きすぎる。

あなたもシャディ目(シャディク目的)でガンダムを見てみませんか。

アーレア・ヤクタ・エスト(賽は投げられた)。