服好きな大学生の僕の手記。

ポエムをゴミ箱に捨てている人間を見た時が何より悲しい

感傷に浸れる事は才能でしかない。

セブンのマンゴーアイスを食べながら、そんな事を考えていた。駐車場で夏の匂いを感じようとしたけど、一切感じない。夏って匂いある?排気ガスと、横でお兄さんが吸っているたばこの匂いしかしないんですけど。

僕は曲がりなりにも大学生をやれている。

去年、大学を休学している時は「戻っても大卒資格をとるだけで、最低限大学の事なんて考えないようにしよう」とか「地元に戻っても、最低限仲の良い友達とだけ仲良くして音楽にだけ打ち込もう」なんて心に刻んだ思いとは裏腹に、

「趣味が合う高校の同級生と仲良くなりたいな」とか、「大学の後輩とデートしちゃお」と徐々に社会に馴染んできている自分が本当に嫌い。ほんとクソ。ポケモンやってないで曲を作れ。アシレーヌかわいい。

創作物に対して大人は感傷をサボる。社会でうまく生きていくためには、感傷に浸る事は欠点にしかなりえない。SNSで空の写真と一緒にポエムを書く人間が減るのは、成長に伴い精神が安定したからなんかじゃない。生きるのに慣れただけだ。そもそも心に成長なんて概念はない。考え方が変わる事はあっても、心に優劣はない。

ある程度の年齢になると、音楽とか、小説とかで感傷に浸る事がなくなる。そんな事より大事なものとやらができていく。学生時代、SNSで長文のポエムを書いていた女の子が、甥っ子がかわいい と 芸能人の不倫訃報 と 社会で話題の話しかしなくなるの、本当に悲しい。米津さんの新曲まじ好き。と屈託のない笑顔で言っていた同級生。岡田将生とガチで結婚するって言ってたのは嘘だったの?ねぇまだ信じてるから。

たぶん、何もかもめんどくさくなっているのだ。人間の心で1番強い気持ちは、このめんどくさいという奴だと思う。人間は馬鹿じゃない。考えられないわけじゃない。考える事がめんどくさい。そうして惰性と怠慢に支配されていき、ゆっくりと心が錆びていき、いつしかどうやって悲しんだり楽しんだりするかもわからなくなる。取り繕いSNSで充実した日々をアピールしたところで、自分の空っぽさをより深く感じさせるだけだ。上っ面だけ好きを公言していても、自分が本気で楽しめないとすぐに飽きる。

音楽だって誰かと共感共有なんかしなくたって、誰もわかってくれなくたって、自分一人で楽しんでいたはずだったのに。ポエムという名の自慰行為にも似た独りよがりをやめて、ただ社会的に正しい事をし続ける。たばこや酒をやめて、誰のために運動しているのだろう。誰も褒めてくれない。望んだ幸せはそんなはずでしたっけ。まぁいいか、考えるのめんどくさいし。

こんな事を書いていると、なんか泣きそうになってきました。誰か僕を抱きしめてください。ただ、酒の力をかりないと、泣く事だってできないし、ブログも書けないし、自分をどうやって肯定するかを探し続けるだけになっちゃうから、いい事なのかもしれないね。

なんかもう、人間が全員、人生ゲーム終盤みたいな感じで辛すぎる。俺なんか始まってすらいないのに。なんでこんな苦痛を味あわにゃならんのさ。早く何にも依存せずに生きていける人間の脳内構造が、最新テクノロジーで明らかになってほしい。馬鹿にしているわけではなく、何を楽しみにみんな生きているの。アニメとか音楽とか自分が依存している事に興味ない人。そもそも自分以外の人間に意思とかあるの。まじ?

そんな事を考えながら、風とか夏とか夜とか蛍とか、そういうものを感じられるように生きていけるよう祈ります