服好きな大学生の僕の手記。

「帰り道は遠回りしたくなる」(日記6月)

・『最終兵器彼女

 

僕はこのツイートが大好きです。

最終兵器彼女

最近、ルームシェアメイトと共に最終兵器彼女を観ました。

この作品は文字通り自分の彼女が兵器となって、世界と戦う話なんですけど、世界と個人の対比が素晴らしいです。

ヒロインのちせに戦争に行かないでほしいシュウジ、彼女を戦争に行かせるという事は彼女が死ぬかもしれないという事ではなく、彼女に人を殺させる事なのです。

大切な人が、人を大量に殺しているという事実に自分の想いが揺らぎ「戦争の事なんて忘れて、2人で穏やかに暮らそう」と提案するシュウジですが、主人公がそんな平和を実感できるのは、まぎれもなく、裏でヒロインのちせが多くの人を殺しているからなのです。

僕は、最後は個人に収束する物語が好きです。これは本来自分勝手な欲望で、大っぴらに発言できる事ではないのですが、芸術や創作にはそういう側面の魅力があります。というか、あると信じています。

・『フツーに聞いてくれ』

個人に収束する話と言えば、『チェンソーマン』の作者による読み切り、『フツーに聞いてくれ』もとても良かったです。※以下ネタバレ

フツーに聞いてくれ

好きな女の子へ告白の代わりに、YouTubeに彼女のことを歌ったオリジナルのラブソングの動画をアップした少年が、振られた挙句、学校中の笑いものにされ、さらに動画に集まってきたあらゆる野次馬たちから拡大解釈されまくり、本来自分が伝えたかった想いとは全く違う場所に行ってしまう話です。

僕は創作物が作者の意図しない場所に行ってしまう事に否定的ではありません。作者の意図と読者の解釈は必ずしも一致するべきではないと思います。かといって昨今の考察ブームやこじつけレベルの解釈も好きではないです。というより、それを共有するという行為が好きではないのです。

『フツーに聞いてくれ』は、少年の真の想いは少女にだけ伝わっているという終わり方なのですが、これが好きなんです。

想いは簡単に重ねるべきではないんですよ。『ポルノグラフィティ』もそういっていました。他人の解釈は、自分の解釈の深度をより深める為の材料でしかない。自分の世界を上書きされたくない。そういう意識は大切だと思います。

それに最終的に個人に収束する事を信じていたら、外野の意見何てモブキャラクターの戯言でしかなくなります。

ルームシェア

もっとルームシェア友達と遊びに行きたいです。

友人と同じ家に住んで、同じ食卓を囲み、一緒にアニメやYouTubeを観て、毎日楽しい日々を過ごすというのは、誰もが一度は憧れることではないでしょうか。

僕はオタクで陰気な属性の人間ですが、友人関係に関して言えば恵まれたことに、信頼できる人が周りに多くいるし、学生時代から大きなトラブルを抱えた事は無いです。まぁそれは僕の人格がとても優れているから...という訳では決してなく、むしろその逆で、僕がめちゃくちゃ人を選り好みして、”人を選んできた”からだと思う。

僕の友人たちは僕に似合わず本当に良い奴らばかりだ。

人類の抱える悩みのほとんどが人間関係での問題だと思う。僕はその事実にとても辟易としていて、言葉を選ばずに言うと他人の事についてなんて悩みたくない。

思春期にそのことを自覚してからは、人間関係での潔癖が加速して、趣味が合おうが、年齢が近かろうが、仕事やバイト先が同じだろうが、ほんの少しでも自分にとって(なんか違うな...)と感じることがあれば関係の継続を諦めてしまいます。

しかし孤独に耐えられるかと言ったらそういうわけではなく、自分と相性ばっちりな人間に囲まれて生きていたい。人としてに需要の無い人間にはなりたくない。というクソ我儘な欲望を、ドライに選り好む事と運だけで乗り越えてきました。需要という言葉を人に使うのは間違っているかと思いますが、でもやっぱりそういうものはあると思う。ないがしろにして文句を言い続けるぐらいなら、他人から求められる人間でありたいです。僕は。

これ、ルームシェア関係なくてオタクの語りですね。

・「あなたは、美少女ゲームの少女が好きなんですか?物語が好きなんですか?」

最近読んだ本の作者が読者にこんな質問を投げかけていた。 「あなたは、美少女ゲームの少女が好きなんですか?物語が好きなんですか?」

これは美少女ゲームに限った話ではない。人が好きなのか、その人が登場する物語が好きなのか。捉え方次第で、視えている景色はまるで変わってくる。僕は断然後者である。

僕は他人の事を、あるいは自分自身の事すらも、物語の為の部品の一部だと考えている節があります。他人を自分の物語のモブキャラクターと思っていたり、自分自身を他人の物語のモブキャラクターだと考えているわけである。自分の為に人生があるんじゃなくて、人生の為に自分が存在しているという事です。

まぁだとしたら僕の物語は、犬も食わない駄作ですが。それでも少しでも話を面白くするために、主人公として何か行動を起こす必要があるし、モブキャラクターとして主人公(他者)に良いアシストを与えたい。

だから人間関係の悩みなんて本質的には無いも一緒。先ほどある程度の自分自身を理解してからは人間関係でトラブルを起こしていないと言いましたが、起きていたことにすら気づいていないだけかもしれません。しかしそれで良いんです。好きな作家の言葉をかりると、僕たちは絶望的な程の断絶を抱えていて、だからこそ一人一人に世界が与えられているという神話があるのだ。