服好きな大学生の僕の手記。

『BLEACH』のポエムを考察するやつ2

先日インフルエンザにかかって死にかけました。まじで体温40度コース。死がリアルに実感できる温度。ひんしだよ。ポケモンだったらいますぐ交代させるべき温度なのに、死体蹴りでバイバニラれいとうビームくらったような悪寒が襲ってくる。特殊110でタイプ一致の火力に普通の成人男性が耐えられるわけもなく、普段低血圧の僕が、経験した事ないほど汗が止まらなかった。

しかもここ10年間で一番辛かったのに、誰も看病してくれなかった。悲しいね。本当に死ぬかと思ったし、もし死んでもそれは、セフレはたくさんできても恋人ができない僕らしい死に様なのかもしれない。”あなたが辛い時にそばにいてくれる女の子が一番いい子理論”をめちゃくちゃ認識させられた。

まぁ自分の命を人質にしてLINEすれば(というか普通にLINEすれば)二、三人優しいやつが来てくれたのかもしれないけど、そんなの誰もこない事より虚しいじゃん。なら死んだほうがマシだよ。というか死なねぇ。なぜならウイルス程度の小さき生命体が人間に勝てるわけないから。

まぁ今となってはセフレどころか友達すらほぼいないんだけどね。うける

前置きが長くなったのでどんどん考察していく。Part1もよかったら読んでほしいです。

rurinoblog.hatenadiary.com

http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20171125/74/7731414/68/319x500x70353a220efc0b982a3d9d3b.jpg

 42巻 ティア・ハリベル

犠牲無き世界など ありはしない

気付かないのか 我々は

血の海に 灰を浮かべた地獄の名を

仮に世界と

呼んでいるのだ

考察

原作では出番が少なかったハリベルだけど、アニメ284話にて過去が少しだけ回想として登場したんですよね。彼女は、最上級大虚でありながら決して共食いをしなかった。

アパッチがなぜかを聞くと、ハリベルは相手の犠牲で得た力で強くはなりたくないと言うんですよね。

しかし、その後に暴走した虚の前で仲間がやられた時「私があんな考えを持たなければ」と考え、その後に愛染に助けられます。

その後は、本編の通り「力を得れば犠牲を生む事はない」と語る愛染の部下になり愛染のために戦うわけですけど、力不足と判断されて、忠誠を誓った愛染に斬られました。このポエムは、その時に気付いたハリベルの心情を表しているのだろう。

斬られる寸前まで犠牲なき世界を信じ続けているハリベルまじ天使だけど、実際現実もこんな物だ。死は希望。なんていうのも例のドラマの言葉でありましたが、我々の世界は先人たちの犠牲を元に成り立っているわけで、僕らの人生の道もおびただしい数の何かの死骸の上を歩いているのだ。なんか怖いね。ちなみにBLEACHの十刃はみな死の形を司るが、ハリベルの場合『犠牲』である。

https://d28hgpri8am2if.cloudfront.net/book_images/cvr9781591164432_9781591164432_hr.jpg

3巻 井上織姫

もし わたしが雨だったなら 

それが永遠に交わることのない

空と大地を繋ぎ留めるように

誰かの心を繋ぎ留めることができただろうか

BLEACH屈指の名作ポエムと名高いやつ。この短い文でこの表現力はオサレすぎる。

考察

考察も何もそのままの意味だ。自らの無力さを雨と対比して表している。

尚、”拒絶する能力”である織姫が、何かを繋ぎ留めたいと思うのはなんともシニカルだ。

僕は井上みたいなキャラクターの女の子が一番好きなんですよね。狂気的なまでに主人公を信頼していて、いかにもヒロインって感じだ。こんなにヒロインしている女の子そういないと思う。

井上といえば「あ〜あ 人生が5回くらいあったらなぁ」も最高に名シーンですよね。ウルキオラとのシーンも一つ一つ胸に刺さるし、っていうかウルキオラとのファンアートが多すぎるよ。みんなこのカップリング好きなんか。次

http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20171125/74/7731414/66/755x1200x48ace04a5441f532e73cb30.jpg

40巻 ウルキオラ・シファー

心在るが故に妬み

心在るが故に喰らい

心在るが故に奪い

心在るが故に傲り

心在るが故に惰り

心在るが故に怒り

心在るが故に

お前のすべてを欲する

考察

井上との会話や、一護と戦うことにより心の存在を認めたウルキオラの詩。

合わせて22巻のポエムも紹介しておこう。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71mFx8ZnCmL.jpg

22巻 ウルキオラ・シファー

我等の世界に意味などなく
そこに生きる我等にも 意味などない
無意味な我等は 世界を想う
そこに意味は無いと知ることにすら
意味など無いとい うのに

ここでわかるのは、『虚無』を司るウルキオラが自らの存在や、世界を想うという心に、意味なんてないと思っていることなんですよ。

虚に心なんて物は存在しないし、そんなもの意味はないと思っていた。しかし、一護たちの諦めない姿勢に、心というものに少しだけ興味が湧くんですよね。

40巻の詩は、そんなウルキオラがようやく心という物の存在を認めたことを表しているんだと思います。本編の『心か』は有名ですよね。

(”お前のすべてを欲する”の解釈は難しいところですが、井上のことというのが一番自然なような気もするのですが、本編でそんな描写ない気もするし、うーん。なんとも言えん)

僕はこういう心のない化け物みたいな存在が、心というものに翻弄される作品が大好きです。代表的なもので言えば、キングダムハーツ2の13機関とかですかね。

心って本当にいらない時の方が多いんですよね。そこはウルキオラに共感なんですけど、まったくなくなるのは嫌ですよね。

心というものがまったくなくなってしまった場合、それでも僕らは人間と言えるんですかね。