服好きな大学生の僕の手記。

『竜とそばかすの姫』を見たので真面目に細田守作品について考える ネタバレあり(日記7月)

どうも、映画を見た後、友達にブツブツと早口で長文の感想を垂れ流して引かれるタイプのオタクです。あの時間の多幸感って本当に良いですよね。大好きです。

『竜とそばかすの姫』を見てきました、面白かったです。

映画を見る時はその映画の事を考えているつもりなのですが、ふと

「こいつ本当にわかってんのか?耳障りの良い事を適当にそれっぽい雰囲気で感想を言っているだけじゃないか??」

と、もう一人の自分(プレイヤー目線)に言われた気がしたので、記憶が残っているうちに真面目に感想文を残したいと思います。

竜とそばかすの姫」細田守自らデザインした新ポスター到着、興行成績も発表 - コミックナタリー

前提

僕は特別”細田守作品”が好きというわけではないので、全てのコンテンツをおえているというわけではないですが、一応細田守監督が手掛ける長編の映画は全部観ています。誤解を防ぐために最初に説明しておきたいのですが、これから僕の書く事は映画に対する「批評」ではなく「感想」です。

この違いは自分の中には明確にあって、映画を見る時に、例えばそれが社会に対してどういうメッセージ性があるのか、この映画からどんな道徳的な学びがあるのか。という『社会的な価値』に対する関心というものがとても薄く、誤解を恐れずに言うとそういうのは割とどうでもよいと思っています。創作作品が公共物になってしまう事が怖いからです。

なので、映画の評価もめちゃくちゃ個人的で自分勝手で感じた事やおもしろさ重視で書いていきます。そういうのが嫌いな人は見ててイライラするかもしれないですね。

 

 

 

ごめんね♪ ๐·°(৹˃̵﹏˂̵৹)°·๐

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前書きがだらだらと長くなるのはオタクの悪い癖

映画総評

世間的に新海誠はアニメーションが綺麗で、細田守は話が面白いみたいな風潮がある気がするんですが、その理由の一つに細田守作品の脚本は万人から受け入れられるようなものではなく、めちゃくちゃ尖ってるし人を選ぶからというのがあると考えています。

これは僕が細田守作品の中でも好きなところの一つで、キャラクターの心理描写や人間味というのが変にリアルですよね。

フィクションを描くときって王道的なパターンがあって、ある程度、勧善懲悪であれば世の中には受け入れられるし自分の描きたい物に集中できる気がするのですが、細田守作品はキャラクターの幼さからくる道徳的な歪みとか、エゴ、痛さみたいなものを物語の本質からずれていても必ず描くんですよね。

時をかける少女(2006) | 映画 | WOWOWオンライン

時をかける少女』ではループ能力を手に入れた真琴がその能力を使ってカラオケで何時間も歌い、『未来のミライ』では両親は最後までクンちゃんの意図をくみ取ろうとしないし、『竜とそばかすの姫』のヒロちゃんに至っては、端的に言ってクズです。

細田守監督は”人間”に対する見解がかなりドライな人であり、この写実的な登場人物は昨今の共感主義的な作風ではない。人間は自覚的ではない悪意に共感できないので。

ただこれは決して、「人間って汚いよね」というような意味ではなく、ある人の長所というものは別の側面から見ると短所にもなりえるということだ。特に家族描写は結構露骨であり、幸せな家族が出てくる作品がマジで少ない。というか、細田守監督は一般的な家族関係というものに大きな恨みでもあるのかってレベル。

これはフィクションのために用意された、その場でその場で完璧な選択をする自分自身の代理キャラクターを描くと、そのキャラクターの正当性に依存して物語を多角的に見れなくなるというような事か、人間の不完全性というものに美しさを見出しているからではないでしょうか。

細田守作品では”もう一つの世界”というものがほぼ必ず描かれますが、その世界とは、現実に居場所のない主人公の逃げ道として用意されているパターンが多く、家族関係が良好だとわざわざ逃げ道を用意する必要がなくなるからというのもあると思う。

細田守作品を見れない、苦手という人の理由の一つに、人間というものに対しての期待が大きすぎるというものがあるんじゃないでしょうか。

個人的に、キャラクター目線では感じにくい映画だからこそ、美麗な映像や音楽、エモエモ演出に瞬間の儚さを感じられる気がする。(いや、冷静になると別にそうでもないかも。)

とにかく細田守作品では、キャラクターのあざとさが少ない。

僕は個人的にフィクションには完全性を求めるタイプで、

「現実の人間たちは自分含めみんなきもいので、フィクションぐらいは美しくあってくれーーーー」

と思っていて、そこは細田守作品とは合わないともいえるんだけど、それでもサブカルチャーから飛躍した細田守監督が安易にマジョリティウケをやろうとしないという気概が好きです。(竜とそばかすの姫で登場したディズニー感に引っ張られて、このままコンプラ雁字搦めの映画になったら悲しいよ)

(C)2021 スタジオ地図

では、リアリティのあるキャラクターを描けば面白い映画になるかと言われればそうではない。細田守の映画はほとんどハッピーエンドで終わるのだが、キャラクターを自由にすればするほど整合性がとれなくなり、そのしわよせが物語の方に来る。

『竜とそばかすの姫』で説明すると、ラストの現実世界の竜を救うために、鈴と仲間たちが竜の住む家を特定して、鈴が高知のド田舎から都内に行くシーン。

正直ノイズが多いというのはある。虐待されている子の家に向かうのに少女一人で行くのはまずおかしい。誰か大人がついていくべきだ。せめてしのぶ君はついていってくれ。さらに女子高生の威圧だけで虐待男の暴力が止まるのもおかしい。

と、このように意識的に粗を探せばある。

竜とそばかすの姫【ネタバレ】久武忍はなんてプロポーズしたの? | みんなの疑問・悩み研究室🔬

やっといてなんですが、僕はこういう物語の揚げ足どりをする風潮はあまり好きではないです。フィクションに対して「もっとこうすれば良かった」「この決断よりこっちの方が確実性があった」という詰め方をするのは”作品を楽しもうとする人”の考え方ではないからだ。

もちろん制作側はこういうノイズや観客の違和感と感じる部分をなくそうと努めるべきだと思いますが、観客もまたそれが映画の大筋の評価にするべきではないと思う。制作側がどうやって伝えるかを考えるのと同様に、観客側は何を伝えたいかを考えるべきという話です。

しかしまぁそれを踏まえたうえでも、物語の帳尻を合わせるために、展開が不自然になりすぎていた気もする。

これは僕の創造ですが、細田守監督は描きたいシーンを何個か決めた後にそのシーン達をつなぎ合わせていくように脚本を書いているのではないでしょうか。だからこそ、粗というのは生まれるわけですが、個々で見るととても印象的なシーンが多い映画になる。そういう感じなのではないでしょうか。

youtu.be昨今のアニメ映画は物語に対しての説得力がすごくて、その緻密に計算された自然さが逆に不自然であり、神の存在を示唆してしまう。ここで言う神は作り手の事です。

対して細田守の作品はご都合展開のように見えて、現実というのも因果応報ではなく、偶然性によって世界は構築されているので、逆にリアリティがあるともいえる。うん。逆にね。”逆に”です、どうでしょうか。どう思いますか?

 

まぁただ、必ず物語の整合性だけに拘らず、LIVE感に感情を任せるという見方をするのも良いし、細田守はそこを割とどうでもいいと思っているんじゃない?という事が言いたかったのです。しのぶ君とか冷静に見ると、「鈴が素顔で歌うんだ」しか活躍のシーンなかったけど、何かめちゃくちゃカッコよく見えましたもん。

好きな細田守

劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム! ('00/日本) | 神童だった日記 SPARK!

細田守は元々演出家であり、演出表現がかなり神がかっているんですよね。正直映画もそれ目当てで観ているという節があります。

特に『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』での演出が本当に好きです。細田守監督の作品と言えば、絵柄の違う2つの世界というものを交互に描き、それがお互い相互に干渉しあいながらストーリーが進んでいくという特徴があります。『サマーウォーズ』では仮想空間、『バケモノの子』『おおかみこどもの雨と雪』では人間とそれ以外の生物での世界の対比があります。

『竜とそばかすの姫』では、仮想空間Uが登場しましたが、その源流となったのはこのデジモンの映画からではないでしょうか。

そしてそれよりももっと好きで、細田守を味わえるのが『デジモンアドベンチャー』21話「コロモン東京大激突!」です。f:id:ozuwardwalt:20171119231729j:image

この回は今までと雰囲気がガラッと変わり、デジモンアドベンチャーの中でもかなり異彩を放つ回となっています。

今までデジタルワールドにいた太一がコロモンと一緒に久しぶりに現実世界へと変える会です。「1999年の8月1日は…おれたちが、キャンプに出かけた日だよ!!」というセリフから始まり、なぜかコロモンの事を知っているヒカリ。現実が現実である事をまだ信じられない太一。「デジモンはこの世界にいちゃいけないんだ」というコロモン。

そして仲間たちのためにデジタルワールドに戻る決意をする太一、キャラクター一人一人のセリフに一切無駄がなく、音楽や映像の色合い、本当に好きすぎます。

「なあ、コロモン」
「え?」
「お前もこのまま、ずっとここに……」
「太一……」
「ウチにいれば……もう戦ったりしなくていい。ご飯だってお菓子だって好きなときに食べられる。毎晩ベッドで寝られる。お風呂も毎日入れる。……母さんは時々怒るけど、なにかあるときっと守ってくれる……。父さんだって……」
「……」
「夏休みなんだよ!? いま夏休みなんだ! まだ海にも行ってないし、花火大会だって……宿題だってやんなきゃ……!」

特にこの”あの冒険は夢だったのでは”と未知の世界と現実との間で心を揺らす太一とどことなくノスタルジックでかつミステリアスな映像と、まるで現実こそが夢のような雰囲気で流れるボレロが完璧でした。

 

明日のナージャ』26話 「フランシスの向こう側」も大好きです。

明日のナージャ 第26話 フランシスの向こう側 | アニメ | GYAO!ストア

スペインの強い日差しとトマトの赤色、濃い陰影。最高。

あとは『少女革命ウテナ』23話 「デュエリストの条件」も好きです。第23話 デュエリストの条件 | 少女革命ウテナ | 動画配信/レンタル | 楽天TV

さっきあれだけの長文を書いていていうのもなんですが、やっぱこう考えると、僕は脚本家としての細田守にはあまり興味がなくて、演出家としての細田守が大好きです。

全体のまとまりとか本当は割とどうでもよくて、瞬間最大火力としての細田守が好きです。

最後に

なんだかんだ自分は気づかない内に細田守監督作品をめっちゃ見ていたんだな、冒頭で「細田守が特別好きではない」と書いたけど、ごめんあたしやっぱ彼の事が好きだ。

まぁ好きな部分は好きで、嫌いな部分は嫌いでいいです。僕は『サマーウォーズ』のラストのキスシーンは嫌いですが、高校生の頃に見た『サマーウォーズ』と完全感覚dreamerのMAD動画は好きです。今もずっと好きです。