「若いからまだ焦らないで大丈夫だよ」と言ってくる大人に憧れたことはあるでしょうか。僕は無いです。というかあれ嘘らしいです、だいじょばないです。全然だいじょばないですマジで。
最近はこういう事を言ってくれる大人が増えているんですが、もちろんその人達は僕が悩んだりしているかもしれない。という事を気遣って言ってくれている事もわかっているんですけど、なんなら自分としてはそういう周りから甘やかされる事に悩んでいます。
肯定って人間関係で1番お得なので、どこもかしこもみんな壊れた人形のように肯定を押し売りしあっている様が無責任で軽薄に感じてめちゃくちゃ怖くなるんですよね。優しさの担保という人間関係のルールがどこまで適応されて、どこから人が怒り出すかがわかりません。
肯定や共感というより、その無思考性や感覚性が怖いのかもしれません。みんなそんな事いちいち考えているわけじゃなく、自分が考えすぎで重いだけだという事も本当はわかっています。たぶん壊れているのは僕の方かもしれませんね。あと別に悩んでいません。
それでも僕にとって灰色の人生を色づけるものは肯定や共感ではなく、没頭や夢中であると信じています。祈り続けた人間だけがたどり着ける一人一人の真実がそこには必ずあると信じています。所謂、”誰も知らない物語”というやつです。
なぜ突然こんな哲学じみた事を言い出したのかというと、さっきまでみていたアニメに影響されただけなんですね。本音を言うと他人の人生なんてどうでもいいです。それより『ワンダーエッグ・プライオリティー』の特別編が気になります。
以下は近況の日記↓
『俺たちに翼はない』
言葉の不完全製っていいですよね。好きです。
言葉は自分の感覚をそのまま伝える事はできない。その感覚に似た何かを作り出し、そしてそれを見た他者が、さらにそれを模倣した代理物を作り出して受け取っている気になっているだけである。「俺ガイル」に出てくる
「好きだなんてたった一言じゃ言えない。それ以前の話で、それ以上の問題で、それどころじゃない感情だ」
という由比ヶ浜結衣のセリフが大好きです。ちなみにそのセリフの出てくる11話のタイトル「想いは、触れた熱だけが確かに伝えている。」まで含めてマジで好き。神回。尊み秀吉。萌えすぎ謙信。
最近『俺たちに翼はない』というノベルゲーを買いました。
ちなみに『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』の作者は『俺たちに翼はない』のファンである事を公言しています。俺ガイルが終わって悲しい人は僕のように俺つばをやりましょう。
『モンスターハンターライズ』
モンスターハンターライズにハマっていました。
ライズが元から追加コンテンツ込みで作られていて、ストーリークリアまでが短いのと僕がマジで暇な事が合わさり、一週間も立たずしてクリアしてしまいました。
それで先に購入して僕を手伝ってくれていたハンターの友達をどんどん追い抜いていき、「お前とモンスター狩るの、息苦しいよ」とスラムダンクの赤木状態に陥ってしまいました。社会人になるとモンハンする事すら億劫になってしまうのでしょうか。僕は社会と労働が憎いです。
『脱毛に通い始める』
脱毛に通う前にどんなものがあるんだろうと調べてみたら、広告サイトばかり出てきて情報の質がクソすぎて萎え散らかしました。
看護師の方が機械を当てるんですが、施術前に僕の事を見たベテランっぽい看護婦さんが「ちょっと待っててください」と言ってどこかに行き、新人っぽい人に担当が変わったんですけど、これ完全に舐められてませんか?(大学生だし文句言わなそうだから新人あてとくか)という奴ですよね。
まぁでもそんな事指摘できるわけもなく、これからもやもやを抱え続けたまま私は髭に光線を当てられ続ける弱い生き物、、、
『封神演義』
を読みました。
きっかけはダイの大冒険の新作アニメが面白くて、「昔のジャンプでおじさん達が熱狂していたマンガを読みたい」と思ったことです。
とにかくこのコマだけで妲己のダークヒロインぶりが素晴らしいです。
王天君(おうてんくん)が妲己に狂い壊されていくシーンが特に好きで、
「___ああ オレが...壊されていく...」
「キサマももっと壊れるべきなんだよ楊戩、オレと同じくらいにな!」
等のセリフも昔のマンガらしくないエモさがあります。当時、自分より二回り程度上のおじさん達も妲己によって性癖が歪んでいったのが容易に想像できます。登場人物が急に読者に話かけてくるメタフィクション的な表現も昔のマンガらしくて良いですね。
『なんでそんなに東京が好きなんですか?』
たまに友達にそんな事を聞かれるので書いておきます。なんでかと言うとインターネットが青春だったからです。
思えば地元らしい思い出なんてろくなことがなかった。
いつだって方言は誰かを傷つけるために使われていたし、友達はみんな片親だったり、毒親だったり、またその両方だったり、周りの大人たちは常に何かに怒っていました。
学生時代は嫌なことが10個あれば、良いことはあって2、3ぐらいの日々で、このまま年齢とか性別とかそういうものを言い訳に、環境が変わるまで我慢し続ける。そんな事も本当はなんとなくわかっていたけど「なんだかんだこれはこれで幸せ」なんてハリボテの虚栄心を盾にして必死に自分を守っていた。
学校生活は死にたいほど辛いかって言われると別にそんなことはなかったけど、毎日怠慢と惰性を繰り返し、マジョリティーへのカウンターで生活し、雲散としたストレスを吐き出すように深夜徘徊で花火をして、本当に辛い時、綺麗事を啓蒙する大人たちはこちらに見向きもしなかった。
「あれ、おかしいな。人と人との繋がりとか、本当に困った時は大人たちが助けてくれる、って小学校で習ったんだけど。”感謝の心”とやらが足りないんか。すみません10,000円寄付するんでどうか。」こんな皮肉を当時は毎日のように考えていた。反抗期ですね。
僕や僕の友達を攻撃してきたのはいつだって地元の同調圧力で、そんな灰色に濁った学生時代に色をつけてくれたのは、地元とはまったく無縁のアニメで、バンドで、マンガで、アイドルで、いつだって輸入されたサブカルチャーだっただろうが。
一昨年、初めて上京した時本当に感動した。自分の好きなものに触れ合える事が、語り合える事がこんなにも楽しいとは思わなかった。
何が言いたいかというとたぶん人生って、行動すればちゃんと幸せになれる。間違っていたのは決して地元じゃなくて、被害者ぶって感傷に浸っていた過去の自分なんですよね。本当にごめんなさい。
人間の感情は複雑でどちらが良いか悪いか、0か100かで計れないし、本当は住む場所なんて要因の一つでしかないと思いますが、今の自分に納得できていないのなら環境を変えるのがいいんじゃないかなと思います。
「大切なのは”どうあるべきか”ではなく”どうありたいか”デス」
と※1有昭田鉢玄も言っていました。有昭田鉢玄が言うなら間違いないです。
※1マンガ『BLEACH』に登場するキャラクター、身長257cm 体重377kg 9月8日生まれ、善人。でかすぎる。
おしまい