僕は基本的に仕事でもプライベートでもPC作業をする事が多いのですが、その時に紅茶とお菓子を用意する事で幸せの”格”を底上げしています。
下記はマリアージュフレイルというブランドの紅茶と自分で焼いたクッキーですが、これを一生食べているので、部屋が令嬢の部屋と同じ匂いがします。
これが令嬢のたしなみです。読者の方で令嬢になりたい方がいたら家のレンジを買う時はオーブン付きのものを買いましょう。オーブンは適当に鮭や野菜を焼くだけで美味くなります。

という訳で、たまには”生活”っぽい画像を上げる事で、中の人間がいる事をアピールしつつ、今月の日記を書こうと思います。
『グランメゾン東京』

面白く見やすくて一気見しちゃいました。
久しぶりにキムタクを見たんですが、キムタクだな~という感じでした。単体で絵が持つというか、「”あの男”が騒動を引き起こす~」というひきでもちゃんと面白い事が始まる感を出せるのがすごいな。尾花夏樹が「黒猫のタンゴ(ライバル料理人)が~~」と言い出した時は、キムタク指数が250%オーバーになっていました。
三つ星を狙うプロ料理人の話なのですが、癖もなく王道のストーリーながらもキャラクターごとにちゃんと焦点が当たるし、料理も全てガチガチに完成度が高く、こういうのでいいんだよ、という感じで良かった。
『ザ・ファブル』

「プロとして━━━」
殺人のサヴァン症候群という設定だけで、もう面白いですね。
ファブルは独特の間というか、シリアスとコメディのギャップが絶妙で良いんですよね。────を使用したファブル構文と言われる会話が、淡々としていながらどこか生々しい、最強故に無機質なキャラって良いよね。
佐藤明の↓Bは「団地の下の階に飛び降りる」です。
『BLUE GIANT』

アニメ映画版を観ました。
素晴らしい映画でした。
僕は天才ともてはやされている秀才の人間が、本物の天才を目の当たりにして、自分が本物ではないとわかり苦悩するという物語が大好きです。
☆今から偉そうな事を言いますが悪意を持って言っているわけではなく、むしろ優しさに到達する為に必要な価値観の一部だと思っているので怒らないでね☆
「天才」という言葉は現代では安売りされている傾向があり、芸術系のどの分野の雑誌を読んでも毎週のように天才が現れていますが、そのほとんどが僕の中で思う「天才」の定義に当てはまっていないです。
僕の思う「天才」は、特異性を持ち一切苦せずして実力を得た人間であり、BLUE GIANTで言えば、努力する事も挫折や懊悩も楽しめ、栄光や賞賛ではなく単純に自分の好きだけを信じて打算や見栄も無くジャズに打ち込む(主人公)宮本大のような人間なんですよね。端的に言うとジャズ狂いのイかれたやつです。
大と対比し、ここで秀才だと定義したいのは、靴底と魂を削り、苦悩しながら、努力と積み重ねで実力を勝ち取ってきた、そんな泥臭い人間である沢辺雪祈なんです。
凡人は秀才を天才と呼び、天才を理解できない
秀才は天才の才能に嫉妬し、凡人をナメている
天才は秀才を気にも留めず、凡人を理解したがる。
これはオタクが好きな方程式の一つです。最高のポケモンみたいだ
「でも…俺は音楽を…ソーブルーをナメたことは一度もありません」
と豪語していた沢辺雪祈が、ソーブルーの支配人に「客をナメている」と説教されるグロテスクさ。雪祈はそれを「すげぇな」と認めソーブル―の凄さを実感する。
その後にお客さんとして自分たちの演奏を見に来ていた豆腐屋にサインしに行くシーン。本当に素晴らしい。
それまでは、どこか自分の中身をさらけ出せない、心のそこでは自分に自信がないから深く自己開示できなかった雪祈が、自分の全てをさらけ出す音を奏でる、作中では内臓をひっくり返すような音楽をすると表現されています。
ジャズは感情の音楽という初めの言葉がここで生きてくる、ここがこの映画で最も美しいと感じました。

ちなみに”秀才と天才”の関係では、NARUTOのサスケとナルト、アイシールド21の阿含と雲水、ハイキューの及川と影山、鬼滅の刃の継国巌勝と縁壱、氷菓の奉太郎と里志、
ピンポン、ウテナ、かげきしょうじょ、最近だとブルーロックやメダリストもこういう表現があったりします。天才に挫折しながらも、才能で叶わないと直感していても、勝利をつかみ取る為に全てを尽くす、そんな”秀才”達が輝く理性的な激情の美しさを信じましょう。